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東京都杉並区の歴史
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所在地 杉並区久我山3-37-14

  久我山稲荷神社
 



 この神社は、『新編武蔵風土記稿』多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社とあって「除地、二段五畝十五歩、堂屋舗にあり、小社にて上屋九尺に二間、拝殿二間に三間、南向、前に鳥居を立つ、石階鳥居の外に三級内に二十級あり、村の鎮守、例祭十一月にて日定らず、光明寺の持」と記されているように、創建の由来については詳かではないが古来からの久我山村の鎮守で、祭神は保食命です。
 明治40年4月に字北原にあった天祖神社(祭神大日霎貴命)が合祀されました。
 昭和16年2月に村社となりました。
 境内末社には八雲神社・天満天神社があります。
 本社では、7月24日に夏祭りが行われ「湯の花神楽」が奉納されます。
 その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病がやんだという故事によるものです。
 この湯立ては、杉並区内では極めて珍しい行事となっています。
 境内には明治32年(1899)に氏子が奉納した金玉均(朝鮮の李王朝末の政治亡命家)の手跡を刻んだ「人心同」の碑があります。
 この碑は、久我山生れで、幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作左衛門が、遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不幸をわびる石碑を建ててくれと頼み、その心根に強く打たれた金玉均の手跡です。
 なお、元禄16年(1703)の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられます。
 また、昭和57年に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。
  昭和58年(1983)3月 杉並区教育委員会



  湯の花神楽について
 この久我山稲荷神社には古くから7月24日に八雲大神をお祀りし、湯の花神楽を奉納して健康を祈願する夏祭が行われて参りました。これは昔此の里に疫病が流行し、多くの人が亡くなりました。困り果てた人々は氏神様に集まり御神楽を奉納し御祭を致しました所、疫病を防ぐ事が出来ました。喜んだ人々は毎年このお祭を行って参りましたが、明治20年代に一度中止した事がございます。この年再び疫病が蔓延し、驚いた人々はその後絶やす事なく此の夏祭を行って参りました。此の時行われます湯の花とは、湯立行事と申しまして、大釜に熱湯を仕立て小笹をもってその湯の滴を全身に浴し、誠心誠意を神明に誓うものでございます。古くは盟神深湯(くがだち)と申しまして、熱湯を探り正邪を神前に証した事から起ったもので御座います。尚当社では御神楽の最後に神前にお供えした御餅を撒き、此のお祭の行事を終ります。
 奉納 秦重吉



                                    天満神社・八雲神社



 久我山稲荷神社境内には『人心同の碑』、『力石』、『庚申様御祭神・猿田彦大神』があります。
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