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東京都杉並区の歴史
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所在地 杉並区上荻4-19-2 (荻窪八幡神社)

 荻窪八幡神社のコウヤマキ(道灌槇)
 関東官領であり、武蔵の領主であった、上杉定政に対し、家臣の長尾景春が武蔵を侵さんとして石神井城主・豊島泰経及びその甥の平塚城主・豊島泰明と款を通じて反逆した。
 之を激怒した上杉定政は江戸城主太田道灌に出陣を命じた。
 道灌は文明9年(1477)4月13日平塚城を攻撃し四囲より火を放った。この急報に豊島泰経は道灌軍の背後を突き、江戸城へ進撃せんとして江古田、沼袋の線で石神井城へ進撃する道灌勢と遭遇し後世「江古田の合戦」と伝えられる戦斗を開いたが豊島軍利あらず、道灌軍は騎虎の勢をもって石神井城に迫った。
 文明9年(1477)4月16日、道灌軍は東及南より石神井城を攻撃するに当って、道灌は当社に詣で戦捷を祈願して軍神祭を行ない、槇樹一株を献植した。
 これが今当社に伝わる道灌槇で、一根二幹であったが昭和9年(1934)の暴風雨で一幹折損し一幹となり、樹齢500年を経た今なお、「千年の社・百尺の高野槇」と称えられている。
 昭和61年(1986)3月、杉並区・天然記念物(植物)に指定された。
 荻窪八幡神社社務所




 荻窪八幡神社のコウヤマキ
  昭和61年(1986)3月31日指定 杉並区指定天然記念物
 当社本殿前のコウヤマキは、幹周囲(目通り)2m、樹高20m、樹齢は300年以上と推定される巨樹です。コウヤマキは日本特産の常緑高木で、天然生育地は限られていますが、日吉社、権現社あるいはこれらに属する系統の社頭には、神木として植栽されることもあります。当社のコウヤマキもこの例と思われ、大t同感が石神井城攻撃に際し戦勝祈願の為献植したとも伝えられています。300年を超える樹齢にもかかわらず樹勢も優れ、都内でも有数なコウヤマキとして貴重なものです。
 杉並区教育委員会
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