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東京都杉並区の歴史
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所在地 杉並区善福寺1-8

 地蔵坂
 この坂道は、別名「御立場坂」「寺分坂」とも呼ばれていますが、一般的には地蔵差kと呼ばれています。名称の由来としては、かって坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩や庚申塔、馬頭観音などが祀られていたことにあるようです。
 いつ頃から地蔵坂と呼ばれていたかは不明ですが、舟形を呈した享保17年(1732)銘の地蔵菩薩があるところから、江戸時代中期以降と考えられます。また、地蔵菩薩は北を向いていたところから「北向地蔵」とも呼ばれていたそうです。他には、貞享2年(1685)銘、宝永2年(1705)銘、正徳6年(1716)銘の庚申塔、文政7年(1824)銘の馬頭観音などがありました。
 この馬頭観音には、「東江戸・西ふちう」と彫られており道標の役目をしていたようですが、近代になってからは東多摩郡井荻村、豊島郡石神井村、北多摩郡吉祥寺むらの三郡の境に立てられていたため、「三郡境の馬頭様」と呼ばれていました。
 現在では、観泉寺(今川2丁目18番)に安置されています。
 また、地蔵坂交差点に近い台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、昭和56年(1981)に実施した発掘調査では、旧石器時代(約1万8千年前)のナイフ形石器やスクレーパー(搔器)など多数の石器類と礫群(バーベキューの跡)、縄文時代早期(約8千年前)の土器や石器が多数出土しており、住居址や炉穴(屋外炉)も検出されています。特に、荻窪中学校の校庭から発掘された井草期の住居址は、区内で初めて発見されたもので、考古学的にも大変貴重な資料です。
 平成元年(1989)3月 杉並区教育委員会









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