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東京都杉並区の歴史
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所在地 杉並区下高井戸2-21-2

曹洞宗
 嶺玉山 龍泉寺


 当寺は、嶺玉山と号する曹洞宗寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。
 開創年代は、元禄・享保の2度の火災により記録を類焼したため、はっきりしませんが、寺伝によれば、慶長8年(1603)8月江戸麹町(現千代田区紀尾井町)であったと伝えられます。



 開山は、過去帳によると、この寺の本寺であった江戸四ッ谷北寺町(現新宿区舟町)の雄峰山全勝寺二世の晋庵瑞迪和尚といい、元和7年(1621)3月に入寂しています。



 当寺は、寛永年中(1624~1643)に、江戸麹町から四ッ谷南寺町(現新宿区須賀町)に移転し、更に明治42年(1909)、同地の区画整地に伴い当地へ移転しました。

六地蔵

 移転当時この付近は、門前を流れる玉川上水に、春は桜が清流に映え、6月の蛍が飛び交う頃になると杉並でも指折りの名勝地でした。

北向地蔵

 また、この寺には、「六地蔵」と共に「北向地蔵」と呼ばれる高さ1mのお地蔵様があり、江戸時代から熱病などの難病に、大変霊験あらたかとあつい信仰をあつめていたと伝えられます。
 昭和60年(1985)3月  杉並区教育委員会
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所在地 杉並区下高井戸3-4-7

日蓮宗
 清月山 覚蔵寺



 清月山覚蔵寺は日蓮宗の寺で、本尊は十界曼陀羅・宗祖日蓮聖人像です。
 当寺はもと真言宗の寺でしたが、慶長年間(1596~1614)に日蓮宗に改宗、中興開山は実成院日相と伝えられています。



 当寺に安置されている鬼子母神像は、日蓮聖人の直刻と伝えられています。このことは「江戸名所図会」にも記載されているもので、文永8年(1271)聖人が龍ノ口法難にあわれる前、馬に乗せられ鎌倉の町を引きまわされて刑場に向う途中、一老女からごまのぼた餅を供養され、そのお礼として手渡したものであるといわれています。この像は江戸時代の中頃に、鎌倉の妙法寺から当寺に安置され、それ以降開運鬼子母神として、人々の信仰を集めるようになり、寺運も大いに栄えたといわれています。



 境内の日蓮聖人五百遠忌塔は、天明元年(1781)頃に建立されたもので、昭和56年(1981)は聖人700遠忌の年にあたり、それを記念して銅像を建立しています。
 また、開山日相聖人塔は350遠忌の年(昭和41年・1966)に建立されたものです。
 なお、当寺は大本山池上本門寺の末で、現本堂は昭和31年(1956)に改築されたものです。
   昭和56年(1981)2月15日 杉並区教育委員会

 


所在地 杉並区下高井戸4-2-3

 叡昌山 宗源寺



 叡昌山宗源寺は、十界諸尊を本尊とする日蓮系の寺です。
 当寺の檀家であった有名な地理学者志賀重昻が記した「宗源寺開基碑」によると、当寺開山光伯院日善の祖先は畠山重忠の一族江戸遠江守太郎判官重永の孫で甲斐国(山梨県)吉田郷に住した吉田宗利であち、宗利が法華宗に帰依して法名「宗源」と称したのにちなみ、末孫の日善がこの地に一寺を開いて寺名としたと伝えます。そして、その時期は慶長(1596~1614)初年の頃とされています。

不動堂

 境内の不動堂は、もとこの近くにあった修験道の本覚院(明治5年〔1872〕廃寺)のものでrしたが、明治44年(1911)に現在地に移し、昭和42年(1967)に改築したものです。



 なお、この不動堂はかつて高台にあったため、「高井堂」と呼ばれ、それが高井戸という地名の起源になったとする説もあります。



 当寺蔵の文化財としては、南北朝初期の板碑や滝沢求馬(1713没)の筆になる釈迦涅槃図が保存されています。
 昭和55年(1980)2月20日 杉並区教育委員会



 宗源寺境内には『宗源寺のラカンマキ』があります。


所在地 杉並区下高井戸4-2-3 (宗源寺)

杉並区指定天然記念物
 宗源寺のラカンマキ
     成7年(1995)11月29日指定


  
 寺の本堂南側にあるラカンマキは胸高周囲2m15cm、樹高(目測)9m、樹齢350年と推定されています。ラカンマキは雌雄異株の常緑樹で、羅漢と呼ばれる理由は果実と花床を羅漢の首と胴に見たてた、あるいは種子の形をまだ仏になりきらない羅漢にたとえたとも言われています。当寺のラカンマキは雄株で葉は細長く中央の脈は両面に出て、樹姿は南の方に広がる臥竜型です。樹姿も優れ開創当時に植えられたと伝えられ、太さは都内区部のものとしては群を抜き大変貴重なものです。
  杉並区教育委員会


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