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東京都杉並区の歴史
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所在地 杉並区永福1-6-12

浄土宗
 村高山 栖岸院


 
 当寺は村高山と号する浄土宗の寺で、本寺は京都の知恩院です。 寺伝によれば当寺はもと三河国村高庄(現愛知県安城市)にあった長福寺という浄土真宗の寺で、天正19年(1591)麹町8丁目に寺地を拝領して江戸に移りました。元和7年(1621)老中安藤重信が葬られ、以来同家の菩薩寺となり、寛永16年(1639)には重信の子重長が中興開基となって、父を開基、妙誉秀慧を開山に招へい、浄土宗の寺として改めて開創されたといわれます。現寺名の”栖岸院”(重信の法名に由来)も、この時から用いられたと考えられます。
 江戸時代の当寺は、住職が将軍に単独で拝謁のできる、”独礼の寺格”を許され、安藤家・高木家(丹南藩主)をはじめ多くの旗本諸家の香華寺として市中に知られていました。当時の寺の様子を『江戸名所図会』(天保初年刊)は「当寺に頼朝の念持仏と称する聖観音の霊像と安置す。(龕前に安置する所の観音の像は楠正成尊信の霊像なりといふ。)7月10日は千日参と唱へて参詣頗る多し」と記しています。
 明治維新後は武家の凋落、市街の変化などの影響をうけざるをえず、寺院の発展を図る為、大正9年(1920)現在地に移転しました。 
 観音堂に安置する聖観世音菩薩は、「火伏観音」と呼ばれる鎌倉時代後期作の端正な仏像で、区の指定文化財となっています。
 平成7年(1995)3月  杉並区教育委員会


杉並区指定有形文化財
木造 聖観音菩薩坐像 一躯
     平成2年(1990)11月14日指定

 本像は、像高47cmの小像ですが、眼鼻立ちの整った、たいへん気品のある仏像で、宝冠、胸飾り(瓔珞)をつけた菩薩形をとり禅定印を結んでいます。衲衣は両袖が膝の横から垂下しており、ここに、この仏像の特徴が見られます。これは宋朝の仏像彫刻の影響をうけたもので、鎌倉時代後半の特徴を残すものです。像容は、宝冠釈迦如来坐像と呼ぶのが、ふさわしいかもしれませんが、宋文化を取り入れた当時は、根強い観音信仰があり、聖観音として造立されたものと思われます。
 杉並区教育委員会
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